第1章   人の交流

(1)日本人

@ 夏目漱石(小説家) スリランカ(当時セイロン)で日本人が初めてコロンボでカリー(カレー)を食べたことでも有名です。ヨーロッパに行く途中に寄り、コロンボでの生活を楽しんだと言われています。
A 森 鴎外 「舞姫」などの作品で有名な明治時代の小説家です。漱石同様、ヨーロッパ留学のときにスリランカ(当時セイロン)に立ち寄りました。
B 藤井宣正 仏教学者。本願寺よりインド仏跡探検隊参加の命をかけ、ロンドンを出発し、インド、セイロンの調査をしました。
C 岩倉使節団 明治最初の岩倉使節団(岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文ら)がアメリカ、ヨーロッパから帰国するときにスリランカに立ち寄りました。
D 林薫(ただす) 明治新政府の外交官(もともとは幕臣)です。江戸幕府末に幕府留学生として、ヨーロッパに行ったときに戊辰戦争の知らせを聞いたといわれています。途中立ち寄ったセイロンで幕府軍上野彰義隊が全滅したという報告を受け、日本への帰途を急いだと言われています。
E 釈宗演(しゃく そうえん) 鎌倉円覚寺で早くから将来を期待されていた仏教の僧侶です。慶応義塾に入学し、塾長の福沢諭吉から「セイロンに渡って仏教の源流を研究せよ」と指導されて単身でスリランカに来た。ゴールで仏教について研究をしました。日本人で二番目にスリランカへ留学した人。
F 久米邦武(くにたけ) 日本史の歴史学者。藩校の弘道館で、大隈重信にあこがれ、江戸幕府の昌平坂学問所で学びました。その後、明治新政府に使え、岩倉具視の使節団に随行し、帰国後、米欧回覧実記にセイロンに立ち寄ったことを書きつづっています。
G 徳富蘇峰(そほう) 明治から昭和にかけての言論人、歴史家、評論家。研究のためにスリランカ(当時セイロン)に立ち寄ったといわれています。
H 太平洋戦争における
コロンボ空襲
太平洋戦争時、パールハーバー攻撃後、日本はセイロン島攻撃作戦として当時の植民地国イギリス軍に攻撃を加えました。撃墜された飛行機の乗組員がスリランカの農民に看護されたという実話に基づいた映画が5年前に日本で上映されました。映画の名前は「セレンティブ」といいます。
I 岡倉天心 明治時代を代表する画家。明治34年にインドに仏教遺跡調査の途中にセイロンに立ち寄りました。
J 川口浩探検隊 有名なテレビの探検番組で世界各地に探検に行きました。俳優の故・川口浩さんを隊長にしてセイロン島のワニなどの生態を観察に来ました。
K 皇室の方々 @皇太子、美智子妃殿下(現平成天皇、皇后陛下)A秋篠宮ご夫妻B高松宮ご夫妻
L 政治家の方々 @海部総理大臣A小渕恵三(元官房長官)B福田現官房長官C久保亘参議院議員 
M 釈興然(しゃく こうねん(こうぜん)) 最近、スリランカの新聞に日本とスリランカの関係についての記事が載っていました。東京大学の図書館の文献からわかったのですが、そこには、スリランカに初めて来た日本人として彼の名前が挙げられていました。明治19年にスリランカに仏教を勉強に来ました。最初はゴールの近くで修行し,次にはコロンボのマリガカンダに今もあるVidyodayapirivenaでスマンガラ大長老の指導で勉強しました。またキャンディのマルワッタ寺で具足戒を受けて正式なスリランカの比丘になり,名前をコーゼン・グナラタナと称しました。明治26年にコーゼン・グナラタナは日本に戻り,自分のお寺である横浜の三会寺(さんねじ)の住職に復帰しました。


(2)外国人

@ ペリー 日本に不平等条約を結ばせたペリーが日本に行く直前にセイロン島ゴールに立ち寄りました。同行させた画家に当時の様子を写生させました。
A マルコ・ポーロ 旅行家ポーロも立ち寄りました。社会の教科書(東京書籍の地図からわかりました。
B フランシスコ・ザビエル 日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師ザビエルもスリランカに立ち寄り布教活動に努めました。スリランカは現在もカトリックを信じている人が多くいます。
C ベンガル総督 イギリスの軍人。1600年に東インド会社を作り、それ以後、インドやスリランカに進出しました。1774年にイギリスはベンガル総督府を設け、イギリス政府がインドやスリランカを直接支配する植民地へと変えていきました。
D ロバート・ノックス イギリスの歴史家。スリランカのキャンディー王国で捕虜とされていました。ひそかに百マイルものの旅をして、捕虜から逃れて、セイロン史を書いた人物。キャンディはかつての首都です。
E オルコット 「若草物語」で有名な小説家です。インドやセイロン(スリランカ)に行きそのときの旅行記も書きました。
F 鄭和(ていわ) 中国雲南省出身のイスラム教徒です。永楽帝という明の第3代の皇帝に仕えました。皇帝の命によって七回にわたる大船団の遠征(貿易)を行いました。マラッカ・セイロン(スリランカ)・ボンベイ・ホムルズ・ペルシャ・アデン・メッカ・モガディシオまで遠征しました。
G 不空三蔵 新しい密教経典を探索するため、インドとセイロン(スリランカ)への旅に出た中国人です。ちなみに唐の時代の人です。


(3)その他

@ 空海(満濃池) 日本史で有名な、空海(弘法大師)が作ったと言われる四国の満濃池の製造技術は、スリランカから伝わってきたといわれています。スリランカには、現在でも国内のいたる所にタンクと呼ばれるため池が多くあります。


(4)スリランカ→日本(スリランカ人)

@ ウィッキーさん 昔、日本ではやった「ズームイン朝」の番組の中の「ウィッキーさんの英会話」で有名なアントン・ウィッキー氏はスリランカ人です。現在はこの番組も終わり、いろいろな番組に出演しています。また奥羽大学の教授として、大学生に英語を教えています。
A カルナラトナ先生 中山先生のご主人で、スリランカでもっとも有名な画家の一人です。かつて、国立東京芸術大学美術科にスリランカ国費留学生として勉強されました。油絵、抽象画がご専門で、福岡の国立美術館に永久保存で展示されています。




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